年は 既に明け また これから一年
昨年も 色々色々あったように
今年も 色々な事が おきてくると思う
小学校の卒業文集に 書いた
将来は 大工さんになって
2級建築士になって(←その当時は1級建築士があるとは知らなかった)
家を 建てたい
その 夢が 現実として 日々の生活に有る
やはり 夢と現実は かなりの違いがあって
わしが 言う 「大工さん」 とは 「職人」であって
その「職人」には なれなかった
今後も きっと 「職人」に なる事は無い と 思う
中学を卒業してすぐ 職人の世界に入り ベンガラを塗り 土乗せ瓦の土を背負い
「わしゃあ馬鹿じゃから大工になるしかなかった」と にこやかに言う 井上さんに
なれる訳も無く
高校卒業し 「軽天」の世界に入り セミナーパークの職長までこなした
吉松さんの器用さ も なく
高校中退し 自衛隊に入り 子供を6人抱え 様々な事を 見・知り
「刃物」フェチ で 独特の考え方を持つ 古賀君に 成れようも 無く
わしが 恋い焦がれるのは 「職人」であり
基礎であろうと 水道であろうと 電気であろうと 大工であろうと
左官であろうと 足場屋であろうと サッシ屋であろうと 板金屋であろうと
なんであろうと 「職」に堪能した「輩」であり
「職」に 生きる事しか 出来ない「輩」であり
その中でも 子供の頃から見てきた「大工」に 成りたかった
けれども なれなかった
今からでも 出来るのかも知れないけれど
わしには そんな「器用さ」が 無い のは もう 何年も生きてきたので分かっている
夢も希望も理想も あった
今でも ある
夢も希望も理想も ある
ただ 言い訳かも知れないけれど
子供の頃には 分からなかった
「削ぎ落として行く事」の 大切さ は 分かっている
人生短か過ぎるので 「何でも出来る」と 思っていた事が
「何でも出来る訳でもない」事は 経験してきた
『将来は 大工さんになって
2級建築士になって(←その当時は1級建築士があるとは知らなかった)
家を 建てたい』
削ぎ落として行く
「大工さんに なりたい」
を 落とし
「建築士に なりたい」
を 落とし
「家を 建てたい」
一本で 行く
「自分に嘘をつかない 自分の知る・持てる 最大限の力で 家を造る」
一人よがり かも 知れない
我が儘 かも 知れない
弱っちい自己愛かも 知れない
言い訳は しない
「自分で やっている」から
「人のせい」には 絶対しない
あれも良い これも良い かもしれないが
自分は 自分の思う・描く・望む 「住む器」を
「巡り合った人と 一緒に造る」
それが 有るから 自分なのだ
「造る」から 自分なのだ
「造る」事が 自分の姿で 生き様で
飲み屋で はしゃぐ自分も
よさこい やってる自分も
タップ やってる自分も
「造る事」から 派生しているに 過ぎない し
それで 充分だ
と 思っている
わしは 「それだけ しか 出来ない人間」で
「それだけ」を 全う出来たら こんな幸せな事は ないのだよ
心は 人に有り
生き様は 人に有る
「それだけ」を 全う するべく また 今年も生きていく
変わって行っているのかも 知れないが
「志」は ここに有る
・・・・・秋芳ロイヤルクリスマスパーティーでの 一コマ
なんだか 今年も 我が儘一杯に させて貰った
良かったのか 悪かったのか は 正直 分からない
はじけ飛んだ一時
二次会では なんだか みょ~に 協力業者の面々が いとおしくなり
男共を ひっつかまえては 「ちゅ-」を した 記憶が 微かに有る
10人位は ひっつかまえて 「ちゅー」を した きっと 多分 恐らく
サッシ屋の浜野さんに 撮影を 御願いして
後日 写真をチェックした
一人一人 み~んな 「いい顔」を している
ほれぼれする様な笑顔 が 嬉しい
わしの 宝物 だと 思う
自分は 間違っているのかも知れない
色んな生き方が 有って良い とは 思うが
自分の生き方が 正しいとは 到底思えない
けれど みんな「いい顔」を している
・・・・・・残念な事に 又 今年も
「内田さん一年間お世話になりました」と 言う奴は 一人も現れなかった
さんざんっぱら言った挙げ句
「あんた 注いで貰いたいって言ってたじゃない」と注ぎに来た 吉松さんの奥様と
千鳥足で ふらふらになりながら 「まあ一杯」と来た 左官の中尾さんのオヤジと
「うっちゃん ごめんねえ 明日は ちょっとゴルフは勘弁してえやあ」と
ドタキャンかました 基礎屋の白井さん
の 合計3名
おいおい わしを もちいと持ち上げえやあ と 思う物の
なんだか幸せな一コマ
工務店グループ57名
めいめい が 楽しんで めいめいが 帰って行った
めいめい が 「内田に嘘を つかんかった」と 思ってるからこそ
こんな事に成る のだと
勝手に思い
勝手に嬉しかった
コメント