見学会終了後 6日間の遅れを取り戻すのに 今までかかり
なんとか かんとか 日常と自分が思える状態まで戻って来た
未だに 「やらねばならぬ」事は 抱え続けているが
抱えていられる事に 感謝している
日々日々 燃え続けていると
なんでも当たり前に思ってしまう様で
横着になって行く自分自身が見える様で
「まっかっか に 燃えて」生活していると 気が付かない事が
ちょっとした日常で あ~気が付かんかったなあ 面白いもんだなあ~
後になったり その時に 気付いたりする
先日 悪玉キューピー(←愛妻のパパリン)と 二人で飲んでいて
親子の年ほど離れている二人でも
旧来の親友の様に 話している事実に気付き驚いた
何故にか 悪玉キューピーは 初めて会ったその日から どうにも他人の様な気がせず
話せば 話す程 居心地が良く
生まれ育ち や 考え方 や 癖 や 性格 が 分かって来るにつれ
この人は 物心ついた頃から このカタチの原型が出来ていて
あんな事や こんな事が その原型のカタチを 大きくさせて行ってるんだなあ
理解し
分かっちょらんかも知れんが 分かった気になり
益々 居心地が良くなる
・・・・・なんか 悪玉キューピーを誉めている文章になりつつあるので弁解しておくが
あくまで 「男として」 まあ ええ奴じゃないか と 思う訳で
キューピーの 息子になりたい とか 妻になりたい とか 言うのでは ない
立場上 義理の息子に なって しまって いるが
まあ ええ同士でわ ないか と 感じている
人は 性根は 変わらん物で
両親や社会や環境で 何時か分からん 幼少の時に
その人 その人 の 性根 が 出来ていて
年を重ねると言うのは その原型に 薄皮を重ねていく作業で あるのだなあ
これが 先週の発見
先々週 取引先の(株)直方建材の 御招待宿泊に 行って来て
清流庵 なる 旅館に泊まり
なかなかに 良い 納まりを 随所に見せる旅館で
設計者と職人に敬意を表したくなる建物に出会った
そうは言っても この業界に長らく居るので
「あ~ やってしもうちょるなあ」
「もう一歩じゃったなあ」
「もうちょっと頑張れたのにの~」
の箇所は 至る所にあるし 目に付くのだけれど
何にせよ 「よ~やっちょる」のには 変わりはない
木が好きな連中が 「寄って集った跡」が 随所に見え
感心至極
ええ 納まりを 発見させてもらった
以前 東京の「世田谷美術館」を見に行って
あまりの 素晴らしさに 涙が止まらなかった時から
ナンバー2の 素晴らしさだった
・・・・・世田谷美術館を見た時 脳裏には モーツアルトが響き
その建物の 言いたい事が 分かる様な気がして
足が震え 気が付くと 泣きながら建物を 俳諧していた
これが 先々週の発見
見学会終了後
親友のぶりん と 妻 と わし で
プチ慰労会を 防府潮騒市場二階 レストラン「エピ」 で 開催
一年前に 初めて訪れた時から 時は経ち 「エピ」の奥さんは出産し
主人が料理を作り 奥さんが配膳する 赤ちゃんは厨房の奥で待機
料理は 非常に「良い仕事」をしていて
親友のぶりんは 魚関係の仕事をしているので 魚にはうるさいのだが
のぶりん も 絶賛し
わしも気持ちの顕れる料理に感心し
妻は 奥さんのファンになり
この「エピ」の家族に 幸せが舞い降りる事を 切に願う
商売なので 「エピ」も どうなるのか分からないのだけれども
こういう環境で育つ子供は 必ず「良い子」に なる気がした
一つ一つ それぞれの環境で 人は原型を作って行く物であるのだなあ
今週末には 包丁研ぎに勤しんでくれた棟梁衆と
「奥様会」を エピにて 開催
井上・吉松・古賀 と 個人的に「飲み会・飲食会」を開いていると
かなり各々の奥様方から冷たい視線を浴びていたので
見学会終了後は 間が空いても
棟梁衆&その奥様を交えた「奥様会」を 開く事にしたので
もう 3回目か 4回目の 奥様会
日々 人と会い 人と混じり合い
わし自身も その中で 薄皮を一枚一枚重ねて行っているんだろうなあ
ようやく「大切な娘」の嫁入りの後遺症から立ち直り
今月末から 「新しい娘」の てんばをやく
「繋ぐ家」の現場が始まる
・・・・・・清流庵の「もみじの間」の一部
檜皮を残しての細工 こいつらホンに 楽しんで仕事しちょる
ちょびっと うらやましい建物である
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