親方の独り言

昨日は 川棚舞龍祭

 参加出来ず 終日仕事
 仕事で 山口→秋穂→嘉川→秋穂→町内 と移動しながら
 道端に咲く桜を眺めながら こんな桜は川棚にも咲いており
 あの川棚の地で 一人一人の感情が渦になって うねっておるのであろうなあ
 と思いながら その地に居ない というのは
 なんだか 本当に今日は祭りの日なのであろうか という様な
 現実味の無い感覚になる
 アートフルIN山口に 段ボールハウスを建てに 何年か行ってて
 昨年から 段ボールハウス出店も辞めてしまって アートフルに参加しなくなると
 その祭りの当日 秋穂に居ながら 「今日は本当にアートフルの日なんじゃろうか」
 なんだか嘘の様に 平穏で平坦な一日が 自分の居場所で送られて行くのを体験した
 昨日の感覚も「対な感じ」であった
 祭りもアートフルも「観客」として参加する と言う感覚が自分には無く
 行くのであれば やっぱり「当事者」として行きたい
 なんちゅうたって わし ナルシスト なんじゃもん
 ・・・・・・・・・・
 有り難い事に なんだか 人の付き合いや仕事が 少しずつ増えてきて
 増えるのは良い事の様な気もするけれど
 その分だけ「現場に居る」時間が 仕事にせよ その他の事にせよ
 少しずつ少しずつ少なくなって来て
 自分自身 わしゃあ どの地点で腰を据えたもんじゃろか
 と 時々思う様になってきた
 少なくとも今は「据える」所では無い と感じているので
 「到達したい」「皆の環境を整えたい」所まで突っ走って行く事には変わりは無いのだけれど
 「その現場に居ない」という事が少しずつ少しずつ増えて行くのであろうなあ
 と感じるのは やっぱり寂しかったりもする なんだか よ~分からん感じだよなあ
 ・・・・・・・・・・・
 昨日 OB宅のリフォーム相談に伺って
 「修ちゃんの息子が頑張ってて その息子にリフォームして貰えるのが嬉しいんよ」 と言って貰い
 涙がチョチョ切れそうに なり
 ああ これが「家業」と言うもので あるのだよ
 その家では もう25年前 父親と屋根じまいをしに行き 野地板打つのに夢中になり
 横移動しながら釘を打っていると 突然屋根が無くなり 入母屋二重のてっぺんから落下し
 「こりゃ死ぬな」と思った瞬間 足が梯子にかかり 消防団の「あらよっと(←梯子の上)」状態になり
 落下途中だったので 足が痛くて起きあがれず ぶら下がったまま
 「とお~さ~ん とお~さ~ん」と 逆さまのまま連呼するが
 その様子が おかしいのか 先代は腹を抱えて笑い転げ 爆笑のあまり落ちそうなのか
 腹を抱えて ずっとずっと笑い続け ひきつけをおこし
 先代本人が落ちないように梁に捕まってるのが やっとらしく わしを助けようとはせず
 しかし 当の わしは 痛くて痛くて逆さまの状態から抜け出せず
 「もう足が ちぎれても良い」との思いで 4~5分後 梯子に手を掛け 脱出した
 「死の間際には色々な事が走馬燈の様に頭をよぎる」と話には聞いていたが
 ありゃあ本当じゃけえ 落ちていく瞬間は1秒も無かったはずだが
 「小学校の時バツで給食を貰えなかった事」や「まだチューさえ した事無いのに」とか
 「お母さん今まで育ててくれて有難う」とか「女性の手はフォークダンス以外で握った事無かったなあ」とか
 他にも色々思ったはずだが もう 忘れてしまったが
 本当に僅か1秒の間に 色んな事が よぎるので あるよ
 まあ あんなに痛かったのに 足が太くて短くて丈夫なせいか 血は出るが骨折してなくて
 そのまんま また野地板を打ったのでは あるが
 その時の事を 今回 久々に思い出し
 屋根を見ながら 「あっこから 落ちたんだよなあ~」思い出しながら
 なんだか わし家業をしているなあ~
 祭りに参加せず 少し 「じとっ」としていた気持ちも和らいだ
 いずれにせよ 「現場に居ない」という事は 現実味の無い事では ある

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