「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の屋根じまいも終了し
今週から外部じまいに突入
今回の現場は 恐ろしく工期が短いので
古賀君を棟梁に据えて 井上・吉松の各棟梁が
目鼻が付くまでサポートして行く
自分の各部の納まり方法・形を具現化する考え方を
長らく一緒にやっていると言わんでも分かってくれていて
「こねえしようやあ」との打合せも段々少なくなって来ている
それでも一軒一軒みんなどこかが違っているので
毎回毎回今度はこねえしてみようやあ
が あるので
上棟からこの二週間は朝から晩まで現場に入り浸り
現場で やあやあ言いながら「形造り」していくのは誠に楽しい
楽しみながら物造りさせて貰う
そういう場を与えてくれた「Oさん」に大感謝の日々である
現場で そうそうしちょる自分達に遠慮して
現場が動いている間は入らずに
自分達が帰ってから家を眺められる奥さんの姿を見るにつけ
「幸せな仕事をさせて貰っちょるなあ」と感じている
子供の頃から不思議に思っていた事があって
二十年前位に気付いたのだが
食事したり喫茶したり
スーパーやコンビニで買い物したり
大きな物では宝石や車を買ったりした時
必ず店の人から「ありがとうございます」と 言われる
飯の場合は「ごちそうさま」とか「旨かったよ」位は言うのだけれど
物を買った時に「ありがとう」ってこちらから言った記憶は非常に少ない
先代に連れられて
小学生の頃から施主打合せや上棟や引き渡しや後の訪問に一緒に行っていて
「修(しゅう)ちゃん ありがとうのお~」と施主さんに声を掛けられる先代を見ていて
父親が誉められる・ありがたがられる姿も誇らしく なんだか嬉しく
けれど なんでかなあ~ と心に引っかかっていた物が なんでか分からずあって
ずっとずっと なんなのかなあ~ この違和感は と思ってて
会社員になって歯医者に行った時に先生に「ありがとうございました」と言った時
はたと 気付いた
ああそうか 仕事したり 物を売ったりして
お客さんから 「ありがとう」と言って貰える職種は
「医者」か「教育者」か「家大工」くらいの物であるのだなあ~
探せば じっと考えれば 「ありがとう」と お客さんから言われる職種は
他にも一杯有るのだろうけど そう 多くはないはずである
大半は お客さんに「ありがとう」と言う職種で あるはずであろう
そんな事に気付いて こんなに「幸せな家業は無い」との気持ちは 更に強くなった
精魂込めて 「形造り」を させてもらわにゃあ ばちが当たる
嬉しそうに 出来上がって行く「家」を眺める 旦那さんと奥さんの姿を見るにつけ
感謝の印に せめても精魂込めて仕事させて貰おう との 思いが強くなる
ありがたい事じゃなあ
・・・・・「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の上棟写真
外からじゃあ よお分からん と 思うが
内部空間は 内田工務店の考え方満載の仕上げ と なる
お陰様で 軸組みの間違いもなく 死刑宣告は受けずに済んだ
形(軸組み)を素直に 内部空間に移行させる 肉付け作業に突入していく
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