親方の独り言

 「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の確認申請も もうじき降り
 着工となる

 へたっぴい では あるが
 先代より 跡を引き継いで以降
 新築の場合(たまに増改築・改装の時もだけど)には 必ず模型を作っている

 子供の時から「家」の造られていく過程を見てきたからかも知れないが
 ラフの平面図があれば 実際の建物の構造・姿は 容易に想像出来るし
 納まり上 どこに問題が起きるか分かっているつもりなので
 模型作製は 自分的には必用の無い事では あるのだけど

 修行時代(H工務店会社員時代)一年に一度位の頻度で 気の合う施主さんに会うと作って
 何故かしら非常に喜ばれる姿が心地よく
 「自分が請け負って住宅を建てる時には必ず作ろう」と修業時代には思っていて
 実際 今まで全ての新築工事(時には増改築・改装)には作ってきた

 我ながらに へたっぴいな模型だなあ とは 思っている
 これまた 修業時代(設計事務所時代) 初めて模型を作った「ベネトン山口支店」を
 請負業者の方々から 「まあ 下手な模型だよなあ」と酷評されたのが トラウマとなり
 未だに 自分で模型作製が上手だとは思えない

 それでも そのトラウマに負けず 作っていると
 何故かしら 施主さんは その模型を捨てずに取っておいてくれていて
 それが 建て終わって住み始めてからも ずっと取っておいてくれている姿を見てきて

 どうやら 自分の模型に対する感じ方と 他の人との感じ方は違うようであるなあ と思い

 模型を作るたんびに 親方衆が 「うっちい器用じゃなあ」と 本当の立派な模型を
 見た事が ないからだろうけれども 言ってくれたりして

 そうこう 言う訳で 未だに模型を作り続けている

 今は もう 殆ど見なくなってしまったけど
 自分達の世界には 「図板」という物があって
 柱の○と 壁の線 のみの ○と線(分かり難かろうが線路・路線図にも見える書き物)の図が
 すなわち「家」で あって
 ○と線 で 家は出来る物だと 思っていて
 ○と線 さえ あれば 住む空間が 作られていく と思っていて
 何故 模型が良いのか 実感として湧かないのだけれど

 模型を見ながら 施主さんと打ち合わせしていると 確かに 言葉で説明したり
 パースを描いたり 三次元Cad なんかより 遙かに簡単で 説得力が あったりする

 ので まあ作った方が良いかなあ とは 思うのだが
 繰り返す様だが 横着な様だが 「そんなん わしゃ分かちょるけえ」なのだなあ

 ただ そう言えば 「山口提灯みこし」を設計した時だけは
 図面描いても ほんに よお分からんかった
 どねえなるんかいのお と 三日かけて コセコセ作って
 1/20位のスケールで 実際に 担ぎ棒から 提灯を入れる組子からの継ぎ手なんかを
 カッターナイフで 地道に作って 出来上がって 初めて
 「ああ こねえすりゃあ きっと出来るんじゃろう」
 と思わされたのは事実で 実際に現場が動き始め
 誰もが 初めての経験で どねえすりゃあええんか状態の中
 かなり自身満々に事を進める事が出来た
 今でも 年に一度の「山口提灯祭り みなこいのんた」には
 「提灯みこし」が 担ぎ出され
 ああ あん時は こんな事したなあ と
 眺めるにつけ 懐かしい 「面白い仕事」を させて貰った 

 と言う事は 「経験値」 なんだろうなあ

 まあよい

 もうすぐ現場が動き始める
 自分の机上の作業も終了し
 本来の「現場作業員」の姿に戻る

 はあ やっちゃるんじゃけえ
 「ついの住みかに眺める山と暮らす家」の最終形は心の中にしっかりある
 これから 積み重ねて積み重ねて ひたすらに積み重ねて
 Oさんにしかない一件の「住まい」を造る
 ひたすらに 積み重ねていく

 やっちゃうんじゃなあ~

 ・・・・・その O様邸 なんだか暗い写真で ほんに「へたっぴい」ではある
 その「眺める山」 変哲もないかも知れないけれど その「変哲の無さ」が良い
 その景色に感動し その景色と奥さんと御主人の「思い」が 今 胸に有る
 唯一無二の「住まい」となる由縁は ここにある

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